今年の元旦の呑み会には、2年ぶりに顔を出した。
ベースとなるのはだいたい同じメンバーだが、私が数年前に予告なく突発的にクラス会の往復ハガキを送りつけたのがきっかけで、その後も定期的に集まるようになっている。
駅前の居酒屋で呑んで、その後カラオケやボーリング、ビリヤードなどで遊ぶか。
アルコールさえなければ、やってることは学生時代とあまり変わってない。
だいたい流れは決まっているのだが、しばらくはそれで楽しかった。
しかし、私はその集まりに対してなんとなく気持ちがのってこないというか、積極的にメンバーに会いたいとは思えなくなっていた時期があった。
そのときの心境はどんなだっただろう…と考えていたら、確かそのことを記事にしていたので、ちょっと抜き出してみる。
なかなか、シビアな調子で書いてるなぁ。
> 最初のうちは楽しかった。
> 何というか、距離感が絶妙だったのが居心地よかったに違いない。
> 居酒屋で昔話をネタに盛り上がったり、カラオケで当時はやっていた歌を歌って
> 懐かしさを覚えたり…同じバックグラウンドをもっている者どうしならではの
> 楽しみ方を最大限満喫しきっていた。
>
> しかし私も就職して地元を離れるようになってから、ほぼ定例となりつつある
> 呑み会に対する私の心境が変わり始めた。
>
> 過去の遺産で食いつぶすあまり、自分たちの今の話や近未来の話ができないことに
> 苛立ちを覚え始めたのである。
> 昔話をしている時間がつまらないというのではない。
> 話題が当時のままでとまっている時間が多すぎる―お互いにいろいろあるはずの
> 20代後半世代なりの、年相応の話になっていかないのだ。
> 私はどうもそれが不自然に思えてならず、ひとり勝手に窮屈さを感じ出す。
>
> もちろん、集まっている各人がさまざまな境遇にいることはわかっている。
> 話したくないところにも無理やり割って入っていこうなんて全く思ってないが、
> 見た目が昔の面影のままでも、中身まであのときのままでいるはずがない。
> 「みんな今もあのままだよね」という予定調和的な雰囲気に耐えられない。
> たとえ今の自分が当時から変わったとしても、この会の場ではあのときの自分の
> キャラクターでいなくてはいけない、そんな空気。
> あの頃の自身が好きでなかったから、余計にそう感じるのだろう。
>
> (中略)
>
> “昔を懐かしむ場”として割り切れるのがいちばんいいいし、他のみんなは
> そうかもしれない…こんなよくわからない感情を抱えたままクラスメイトと
> 会っているなんてちょっとおかしいのかもしれないとも思う。
> 今の自分が昔の自分に引き戻される会、だから窮屈なのかもしれない。
>
> 「ぜいたく悩みだ、旧友と今でも定期的に会えてるのに」
> そう言われるのは百も承知。
> でも書いてみて、少し自分の思ってることを整理できた。
>
> クラスメイトの誰にも、このことは絶対に口外しないと決めている。
>
>>> 想定内の憂鬱
>>> 2006/08/16 Update「from square one」
ものすごく正直だなぁと、自分でも感心する。
実際、1年前のお正月は、何だかんだで理由をつけて行かなかった。
でも最後に書いたコトバの通りになった―それはたぶん、ぜいたく悩みだったのだ。
その1年後、大切な仲間のひとりを失うことになるなど、もちろん知らずに。
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2年ぶりに顔を出した呑み会…その前にメンバーを集めるための電話を、今回とりまとめてくれたクラスメイトとしていた。
「…、で、誰が集められそうなん? そっち、女の子は?」
「…、じゃ男子は? ○○くんでしょ、△△くん、あとほかは?」
本当ならこの会話の中に、彼の名前があるはずなのだ―いつもどおりであったなら。
私は彼を入れようとして、意識的にそれを何とか断ち切った。
向こうも“なんとなく足りてない感”があったようだが、その場はそのままだった。
年月が経てばどうしても、集まれるメンバーがだんだん減っていく…今年は7人。
仕事や先約で、来たくても来られないやつもいたけれど。
信じられない悲しみが襲ってきた夏。
まともに話せず、仲間たちそれぞれが帰路についてしまったあれ以来の人もいる。
集まってからの流れは、やっぱりいつもと同じだった。
呑んでから、アミューズメント施設で遊んで、朝方帰るという、“1年の初日から何やってんの?”というパターンだ。
じゃ、1年半前とおんなじような憂鬱感が、ココロの中に果たして残ったのか?
うって変わってそんな心境にはまったくならなかった…そこまで手のひら返しになったわけではないけれど、メンバーとの昔の思い出と、今の姿を、以前よりもバランスよく話ができた気がするし、あるいはそれが仮に私の思い過ごしだったとしても、会えてよかったなと素直に思えていた。
そしてこれだけでは終わらなかった、今年のお正月。
Uターンする前に、クラスメイト3人とともに、初めて彼のお墓参りをした。
彼の親友が言うとおり、立派な墓石だった。
―やっと、来られた。
「ほら、みんな来てくれたよ。よかったね」
いつも私ひとりだからさという、時々そこで彼と話をするのだという地元のクラスメイトはそう言うと、みんなで買ってきた花をさした。
冷たい風が吹きつける中、4人で静かに手を合わせる。
で、さっきの子が、こうも言ってた。
「でも○○くんは、ここにはいないんだよね。『千の風になって』でそう歌ってる」
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では彼をなくしたという事実が、あの憂鬱感を消し去ってしまったのだろうか?
正直、今はわからない。
ただ、都合いいと思われそうだが、それはきっとわからなくていいのかもしれないな。
ひとつはっきりと言えることは、仲間に代わりはきかないということだ。
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